はじまりの記憶 杉本博司

 払った料金の元を確実に取れるのは間違い無いという太鼓判を押したくなる映画だった。美術家杉本博司の(だいたい)全てがわかるという実に便利な一本である。普通の人にとっては、ひょっとしたら動いている杉本博司を一生分見てしまうことのできる贅沢な機会といえるかも知れない。熱心なファンとまではいかない自分でも、結構この作家さんの作品を見ていたのだということが分かり、逆にちょっと驚いたところでもある。それだけ美術というフィールドにおいて、押さえなくてはいけないと思わせる作品の力があったのだろう。俯瞰的に業績を見渡すことの出来る撮り方になっていることもさることながら、南方熊楠の再来とでもいわんばかりの知の巨人としての杉本博司といった説得力に溢れる話の展開には圧倒されてしまう。しかしながら、その説得力の源泉となっているのは、やはり写真を起点として貪欲に知の情報を吸収し続ける作家本人の姿勢だろう。その姿勢には謙虚に学ばなくてはいけないと思わせてくれる。とはいえ、そのように振る舞えるということに対し、我が身を振り返ってみれば、羨望とともにため息しか出なかった。また、下世話な視点からもなかなかに楽しめる作品である。ニューヨークと東京にある自宅など、世界的な美術家が一体どんな生活環境なのかということを考えずにはいられないような、一般人の想像を遙か上に行く世界を覗くことができる。こちらについても、我が身を振り返ってみれば、羨望とともにため息しか出なかった。
 ただ、ナレーションは高校野球の地方大会の出場校を追ったドキュメンタリーのようなものに感じられてしまい、作品の内容と比較して少々安っぽいような気がしなくはない。また、浅田彰の出演はどの様な意味があったのだろう。「ノルウェイの森」の冒頭に登場していた糸井重里と良い勝負だと思う。

シアター・イメージフォーラム
はじまりの記憶 杉本博司
2012/03/31 -

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芸術家Mの舞台裏:福永一夫が撮った「森村泰昌」

 映画のメイキングというのはそれなりに作られてはいるが、美術作品についてとなると探し出してくる方が難しいのではないだろうか。というよりも、その裏側を知ってみたいと常々思っているような受け手の数がやはり多くはないということがその要因の一つだと思う。
 いわゆる「作り込む」作家の代表ともいえる森村泰昌の作品が製作される過程が、ライカによって実にセンスの良い切り取り方で撮されている。結果的にそれはそのまま極上の美術作品として鑑賞することが出来るという性質のものにまでなってしまった。そうした無欲の勝利といった要素も感じれられるのは微笑ましい。私自身、横浜美術館、東京都写真美術館での企画展を見ていたこともあったので、あの作品はこのようにして出来ていたのかという舞台裏を知ることができるというのは、作品により近づくことが出来たようでやはり素直に面白いものである。また、良い作品を作り上げようとする現場の士気の高さもうかがい知れる貴重な証拠ということでもその価値があるといえるだろう。学芸員などにとっても非常に興味深い作品なのではないだろうか。
 会場に張られていたテキストでも触れられていたが、二人の師匠が同じということで写真というものに対する理解も同じということは押さえておくべき重要な事項であろう。そういう前提があるが故に森村泰昌本人が信頼を置いているこの人だからこその森村像でもあると思われるのである。総じて、森村作品に興味のある人であれば、見逃して置く手はない良質の企画展ともいえるかも知れない。

B GALLERY
芸術家Mの舞台裏:福永一夫が撮った「森村泰昌」
12/04/14 - 12/05/17

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波多野香里展

 5月連休明けの爽やかなこの季節に独特の重みを持つこの作家さんの作品を見るというのは、私にとっての密やかな楽しみの一つである。今年もそれがやって来たと思いつつ足を運んでみたところだが、ややそうした重さを前面に出すのは抑え気味にされていたといったところであろうか。とはいえ、期待はずれというわけでは決して無い。その証拠として、こうして駄文を書き連ねてしまうのであるが、それは生々しい重みが程よく乾いて幾分軽くなり、ちょうどよい「食べ頃」になったような感じというと近いかもしれない。毒気の様なものがかなり抜けて、以前と比較すると安心して楽しめるというのは、それなりに評価すべき点の一つであるといえるのだろう。
 しかしながら正直なところ、やはり元々そうした毒気に惹かれていたという側面もあるので、全く物足りないのかと問われれば、それは嘘になってしまう。とはいうものの、今後の作品の展開としては、このまま留まってしまうというわけではなさそうで、かならず次のステージへと進んでくれるに違いないというポテンシャルをじんわりと感じさせてくれたのである。

GALLERY b.TOKYO
波多野香里展
12/05/07 - 12/05/12

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BEAT TAKESHI KITANO 「絵描き小僧」

 カルティエ現代美術財団のゼネラルディレクターであるエルベ・シャンデスによる入り口冒頭のテキストの中にあった「規格外のアーティスト」という言い回しがすべてを表しているといっても過言では無さそうだ。浅草の漫才師を振り出しに世界的に著名な映画監督まで上り詰めた北野武という人物の頭の中身を直接覗き込むことができるかのような企画展である。が、正直なところ美術作品としてはかなり微妙である。エルメスで作品を展示した細川元総理と良い勝負だ。いっそのこと今度は東京都現代美術館で二人展とかするといいかもしれない。閑話休題、確かに監督した映画は面白いし、良質の作品をコンスタントに生み出していると思う。しかし自分の美術作品のこととなると、その扱いはやはり甘くなってしまうのだろうか、映画の中に唐突に登場してくるそれらの作品は、あまり良い方向には作用していないように思う。ベネチアで金獅子だった「HANA-BI」はその傾向が凄く強くてちょっと興ざめだった。ここオペラシティに並んでいる作品も笑わせるというまでにはいかないし、綺麗さや美しさで勝負するというわけでも(当然に)ない。とても中途半端な印象だけが残ってしまう。アーティストというものはそうした部分を引き受けなくてはいけないと会田誠もその作品集の中で発言していたが、そういった方向に覚悟を決めてやっているというわけでもなさそうだ。そう考えるとカルティエ財団までを動かしてしまうという、映画監督北野武のネームバリューは凄いものがあるといえる。もしくは、カルティエというブランドも、結局のところベネチアの金獅子というブランドに弱かっただけなのか。アートとして成立するためには何が必要なのかということを考える上で、極めて良質なテキストであるといえよう。こうした貴重な機会はそう滅多にあるものではない。

東京オペラシティ アートギャラリー
BEAT TAKESHI KITANO 「絵描き小僧」
12/04/13 - 12/09/02

さわひらき展

 出来ることならば、なるたけ気力と体力ともに充実させた状態で作品に臨むべき企画展。並んでいる作品の尺もそれなりにあるので、そうした状態で足を運べばかなりの時間楽しむ事が出来るはずだ。鉱物のように洗練された無駄の無い深い魅力を毎度の事ながら与えてくれるこの作家さんの作品には、見るという一見気楽な行為にもそれなりに代償が必要であるといったことを再認識させてくれるともいえるかもしれない。資生堂ギャラリーという比較的大きなハコを使用した今回の展示は、オオタファインアーツといったギャラリーでの展示とはまた違った魅力に溢れていたといって良い。メインの空間二面を大規模かつ贅沢に使用した「Lineament」は、その画像の大きさとも相俟って受け手の側にズシッとくる何かを残してくれるに違いない。ヨーロッパの実験精神に溢れた古典映画へのリスペクトも感じられるようなその作品は、ミニシアターで上映されていてもきっと違和感を感じさせないだろう。客の入りもいつもより多めだったので、映画などの映像に普段興味のある層が気になって足を運んでいるのかもしれないということもちょっと感じた。使用されている音楽もアンビエントなテイストであり、決して激しく荒々しいといった感じではないのだが、深く魂を揺さぶってくれるかのように良く出来ているのも印象的だった。インスタレーションの一部ともなっている、今ではほとんど見かけなくなったアナログ盤のプレーヤーもこの作品を理解する上で重要なメタファーだろう。デジタル全盛の昨今においても、健気にくるくると回り続けるその姿はこちらの胸をキュンとさせるものがあった。

資生堂ギャラリー
さわひらき展
12/04/07 - 12/06/17

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マックス・エルンスト―フィギュア×スケープ

 視覚表現の枠を大きく広げたイノベーターと言うべき偉人の企画展。コラージュやフロッタージュなどの本家本元というだけあって、その奥深く洗練された感じは、そのフォロワー達を大きく引き離して有り余る程である。極端な言い方になってしまうかもしれないが、その他大勢はこの人の作ったフォーマットに従って作品を作っているといってもいいかもしれない。
 書籍において重要な要素である挿絵等のいわゆる『美術』のフィールドに収まりきれないところまで、自らの活動範囲を広げているところなど、この人持っていた豊穣なビジュアルイメージのストックには計り知れないものを感じさせてくれる。企画した側の意図とは違うかもしれないが、本という人間が潜在的に持っている所有欲を掻き立ててくれる素材ならではのフェティッシュな要素も多分にあり、そうした面からも楽しむことができる展示ではないかと思う。自らのクリエイティブな活動を出来るだけ他の分野へ拡散し、世に問いかけようとするその試みは、情報の拡散というものを扱う学問の研究の対象にもなりそうである。
 同じシュルレアリスムの同業者であるデュシャンともチェスという共通項でつながるということも、ここで知ったちょっとしたトリビアであるが、ポアンカレの研究所で数理モデルをみて、多大なインスピレーションを受けたというのもなかなかに良い話である。一介の田舎の数学者であった無名のポアンカレは、クラインと論文のやり取りをすることを振り出しに、スターダムにのし上がるのだが、やはり無名な天文学者をモチーフに作品を作っていたエルンストにとっては、こういう人にたまらなく弱いのかもしれない。
  
横浜美術館
マックス・エルンスト―フィギュア×スケープ
12/04/07 - 12/06/24

杉本博司 ハダカから被服へ

 非常に巧いこと受け手の側のスノッブな心をかきたててくれる実に素晴らしい企画展だった。この原美術館にファッションとくれば、絶対に外してはいけないし、そうならなければ成功すること間違いなしの組み合わせである。この作家さんの持っている古美術から現代の美術を見通すその確かな射程の長さからは、全空間を通して実にブレの無い美というものを提示してくれている。身に纏うという人間に一番近いところにある美というものを改めて客観的に考察して再構築して提示するかの様なその姿勢は、敵ながら(?)天晴れといったところであろう。「スタイアライズド スカルプチャー」シリーズのファションに関するキャプションもウィットに富んでいて面白く、つい誰かに話してみたくなる様なトリビアにもなっており、視覚だけにとどまらない装うという人間の営みが潜在的にもっている奥深さを理解することができる。
 同時多発的に開催されている、原美術館、ギャラリー小柳、そしてドキュメンタリー映画『はじまりの記憶』とこの3つを廻ることによって、より多角的に杉本博司という美術家を理解することが出来るのだろう。なんだか東京の七福神巡りみたいなテイストに溢れているが、作家本人はおそらくそれを狙ってやっているのに違いない。

原美術館
杉本博司 ハダカから被服へ
12/03/31 - 12/07/01

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Hiroshi Sugimoto: Five Elements

 非常に手強い展示だった。見事なものである。高松宮殿下記念世界文化賞を受賞するなど既に権威の権化ともなっている感のあるこの作家さんの繰り出してきた展示をみて素直にそう思った。それとともに、あらためて美術という一連の文脈に残り続けるためには、自己の作品や考えている事の価値についていろいろと世の中に対する働きかけが必要であるということも再認識した。
 とにかく、この人といえばこれといった印象のある海景の作品をこれでもかと並べてあるのであるが、かといって冗長になっていないところなどは流石であるといったところだろう。このギャラリーの空間設計に関与しているだけあり、どの様に見せた場合に最大の効果を得ることが出来るのかということを恐らく把握している様にも思う。これはこのギャラリーで展示する他の作家よりもかなり有利な点でもあるのだろう。日本古来から脈々と受け継がれている文化を自らの作品のなかへそっくりそのまま取りこんでしまうかのようなある意味の”傲慢さ”を感じるところでもあるが、それを補って余るほどの受け手の側に有無を言わさぬ説得力をやはり自らの作品の中に十分に内包している。こうした説得力の裏付けとなるこの作家さんの古来の文化への解釈は、学術的な厳密さを重視しているというよりは、美術家としての直感によるところが多分にあると思う。いずれにしても、杉本博司という作家の名声がどこまで高くなっていくのか。下世話な興味を抱きつつ見守っていきたいと思う。

ギャラリー小柳
Hiroshi Sugimoto: Five Elements
12/04/03 - 12/06/23

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折笠晴美展 - 光の戯れ -

 これから暑くなる季節に向けて電力需要が気になってしまうところではあるが、一時期と比較すると東日本大震災の傷跡はもうすっかり癒えてしまったかのように街の明かりは煌々としている。明るければ良いというものでは確かにないのかもしれないが、やはり暗闇にぽうっと浮かび上がる光ほど気持ちをほっとさせてくれるものはない。そうした光というものがもっている人間の心に染みこんでくるような部分をそっと掬い挙げて美術作品として提示してくれるこの作家さんの作品は、毎度の事ながら受け手の側にちょっとした幸せをお裾分けしてくれるかのようである。今回についても以前と同様に、そうした魅力を高い水準で保ち続けているという所はなんとも嬉しい。単なる物理的な現象を独特の美意識で解釈するそのプロセスはなにものにも代えがたい魅力であるといったところだろうか。何気ない日常の中に転がっている美しさに気づくということがどれだけ素晴らしいことかということを改めて再認識させてくれると表現してもいいかもしれない。テクノロジーというものがその奥底に秘めている人間的な部分。そうした一見すると相反するようなものたちを止揚して丸く収めてしまうかのような不思議な魅力が展示空間全体にあふれているのである。

藍画廊
折笠晴美展 - 光の戯れ -
12/04/23 - 12/04/28

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森麻美展

 澄んでいる空気のその感じまでも作品の中へ取りこんでいるかのような魅力に溢れているのが印象的だった。絵本を手がけているというだけあって、どの様にしたら受け手の側に上手く伝わるのかということを良く心得ているようにも見受けられる。このギャラリーでの前回の展示では、動物写真家のように動物たちの一瞬に見せる可愛さを切り取ったかのような作品が主に並んでいたのだが、今回は地平線・水平線といういささかデンと構えた題材を扱っている。そうはいってもこの作家さんのもっている可愛らしさは顕在であり、近寄りがたい大自然といったような厳めしい感じでは全く無い。これから何か良いことが起こるかもといったウキウキしてくるような高揚した気分を感じさせてくれるちょっとした物語の舞台といったようにも受け取れる。こうしたところは作家さん自身が楽しみながらこうした作品を製作していることからくるのだろう。また、作品の中のその奥へと繋がっていくという不思議な奥行き。それに見入ることで感じることの出来る幸福感。良い意味での正のスパイラルになっているようにも思う。月の光などの描写もなかなかのものであり、神秘的ながらも可愛らしいという、二つの要素が混在しているその様子は、私たちが普段忘れている大切な何かをふと思い出させてくれるかのようでもある。

Gallery 銀座フォレスト・ミニ
森麻美展
12/04/23 - 12/04/28

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